旅立ちの日に②
osakesukikogu-tara.hatenablog.com
前回の続きです。
私もこの曲には思い出がある。
それは高校時代。
私が通っていた高校は、真面目とは言えないけど荒れている訳でもない学校だった。
校則が厳しく、頭髪検査は全校集会の後に必ず行われる。
長期休暇の間は毎度茶髪にしていたので、私の髪は黒染めしてもすぐに色落ちし茶色になっていた。
恐い体育の先生「この髪色はなんだ?」
私「…(ヤバイ)」
先生「…ドライヤーで傷んだんだな。行っていいぞ。はい、次!」
日頃の行いが良かったので(自分で言うか)、高確率でスルーされた。
あ、ちなみに
派手な子たちは黒染めしているのに、更なる黒染めを余儀なくされていた。ひどい話である。
さて、そんな話は置いといて。
音楽の先生とは結構仲が良かった。
高校になると、音楽か美術は選択制になってくるから
音楽の先生と仲良くなる人は一握りだったんじゃないかと思う。
私はもともと音楽好きで、2年生くらいには音大への進学を決めていた。
当時、うちの学校で音大に進学したひとは誰もおらず、一人目だったこともあり、先生は私の面倒をとてもよく見てくれた。
しかし同時に、無茶なことも大分言われた。
初めは「野球応援で楽器足りないからなんか出来る?」と声を掛けられ
プロ野球選手も試合をするような、大きな球場で吹部に混じって演奏したり
またある時は「今度の入学式、入退場の音楽なんかできる?」と…
仕方ないので音楽室からバイオリンを発掘し、弦が出来る友達とアンサンブルをやったような記憶がある。
(吹奏楽部の人数が少なかったから、ピンチヒッターになってたんだと思う)
極めつけは校歌練習の時だった。
真面目に歌わない生徒たちに先生はイライラしていた。そしてマイクで叫んだ。
「3年○組の△さん、壇上に上がって!」
完全に私の名前だった。
私、しっかり歌っているけど!?
しょうがないので壇上に上がると
「あなた、校歌弾いて。メロディだけでいいから。」
・・・ピアノの上に楽譜は無く、自分の音感を頼りになんとか弾くしかなかった。
そんな中、先生は更にヒートアップし、指揮に専念しつつ校歌を熱唱するのだった…
そんな先生、卒業式の数カ月前にこう言ってきた。
「この学校では過去にしたことがないけれど、皆で卒業式に歌いたいの。」
そう言って出してきた楽譜は
『旅立ちの日に』だった。
他にもピアノが弾ける子はいたのに、私に伴奏を任せてくれて嬉しかった。
高校3年生・・・要は18歳。
練習の時には、合唱を恥ずかしく思って歌わない子たちもいたけど
卒業式にはビックリするぐらい本気で皆歌っていた。
(親が撮っていたビデオを見て驚いた)
やっぱりいい曲だし、気持ちもそれだけ乗るものなんだと思う。
歌の力って素晴らしい。
歌う人も、聞いている人も幸せになれる✨
卒業式が終わり
音楽の先生のもとに行って、いろんな話をした。
細かいところは、忘れたけどこれだけは覚えてる。
「あなたは耳が良いから、英語の勉強をしたらすぐに話せるようになると思う。」
「いやいや、そんなことないですよ。
それに、海外行く気ないんで英語なんて必要ないですしぃ~!」
先生
いま私
インドにいます。
(相変わらず英語話せないけど~!)
家に帰って
普段は全く褒めてくれない母が「良かったよ!」とすごく褒めてくれた。
父は・・・忘れた(笑)
その日、録画した卒業式の映像を家族揃って見た。
曲が始まり、開始5秒くらい(前奏)で教頭先生が泣いていた。
…泣くの早すぎだわ!笑
高校ってあっと言う間に過ぎちゃって、思い出も少ないんだけど
先生には本当にお世話になったなぁと今でも思い出す。
長文、読んでくださりありがとうございました^^